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秋の屋形船

2020年11月8日(日)礼拝説教

フィレモンへの手紙1章8~17節(新)399頁

説教題「一人の人間として」

今年の7月、皆さんの記憶にも新しいと思います。

諫早市や大村市では大雨があって、あちこちの川が氾濫し、浸水の被害がありました。

特に、大村市の被害は大きかったです。

私が仕える大村教会の信徒の方のお宅に床下浸水の被害がありました。

私はほぼ毎日、大村教会で水害の被害があった信徒の方のお宅へ向かいました。

 

信徒の方のお宅に向かうと、泥が15センチくらい積もっています。

お庭にも、お家の床下にも泥が溜まっていました。

 

どうやら近くの郡川(こおりがわ)の水が氾濫して、信徒の方のお宅に流れ込んでいたのです。お手伝いが終わったその帰り道、泥だらけで、しかも、連日のお手伝いです。

とても腰が痛くて、満身創痍でした。精神的に限界が来ていました。

私にできること。スコップで掬える泥の量はわずかです。途方もない作業でした。

「この私になにができるのだろう。」

 

その帰り道、自問自答しながら私は泣いて帰っていきました。

私の年齢はもう28歳、12月で29歳になるのですが、大の大人が泣くくらいもうきつくてきつくて仕方がなく、泣いて叫びながら夜、帰っていたのです。

 

あんまり記憶にないのだけれども、

「神さま助けてくれよー。」って叫んでいました。確認なのですが、私は牧師です。

 

すると、後ろの方からクラクションが鳴らされました。

「兄ちゃん。何泣いてると。はよ乗らんば。」

車の運転席を見ると、年のころ50歳のおじさんが軽トラックを止めてくれました。

そして、そのトラックに自転車と私を載せてくれました。

そのおじさんは被害があった地域で私と同じように浸水のお手伝いをしたボランティアの方でした。

 

ともすると、知らないおじさんから見たら、泥だらけの大きい男が小さい自転車に乗って、泣いて叫んでいる。それを見かねたのかもしれません。

 

車の中では何も話すことが出来ませんでした。

おじさんもそのことを理解していたらしくて、車の中では、沈黙が続きます。

するとふとおじさんがこう言いました。

「つらかったんやねえ。」

私はこう言いました。

「はい。」

 

繰り返しますが、私は牧師です。

その車の中でも、少し泣いてしまいました。

こんな恥ずかしいことは今までありませんでした。私の住んでいる家は教会です。

 

そのおじさんは私と教会を見るなり目を丸くしてこう言いました。

「兄ちゃん、牧師さんやったと。」

私はその返事も

「はい。」と返しました。泣きながら。

 

今でこそ、笑い話ですが、私にとっては恥ずかしいアンドキツイ話です。

泣いている姿を見られて、しかも知らないおじさんによしよしと慰められて帰ったのですから。

 

さて、皆さん。今日の聖書箇所は、私が大好きな聖書の箇所なのです。

なんで大好きか、それは、「短い」からです。そして、とても暖かいからです。

 

今日の聖書のお話。その中心人物は「奴隷」でした。

 

この奴隷の名前はオネシモという人でした。

オネシモは訳があって逃げていたのです。なぜ逃げていたか。

それはもちろん奴隷だったからです。

恐らくとてもキツイ奴隷の仕事から逃げていたのでしょう。

しかし、奴隷が逃げることはその当時、特別な意味がありました。

 

それは、「主人への反逆」という意味があったのです。

奴隷の命はその当時、主人が持っていました。奴隷はその当時主人の所有物だったのです。

当時、奴隷の命を主人は好き勝手してよいことになっていました。

 

実は、オネシモの主人の名前というは、この手紙の題名になっているようにフィレモンという人でした。奴隷は主人から、むち打ち、最悪、殺されることだってありました。

 

しかも、オネシモはあろうことか主人フィレモンの金品を盗んで逃亡していたのです。

オネシモは町中のお尋ね者となりました。そう。指名手配されてしまったのです。

何も言い訳が出来ません。必ず、主人からの手厳しい罰がある。

逃げようと思っても、逃げ切れない。しかし、ひとたび捕まれば主人からの罰がある。

 

そして、オネシモは逃亡の甲斐なく、ついに捕まってしまいました。

 

しかし、そんな失意の中のオネシモに出会いが与えられました。

監禁中の使徒パウロとの出会いです。

実はこの時、手紙の送り主、使徒パウロは囚われの身、囚人だったのです。

刑務所から、手紙を出して、オネシモの為にお願いの手紙をフィレモンに出すのです。

 

「監禁中のもうけた私の子オネシモのことです。」と10節にあります。

パウロにオネシモは出会い、オネシモはイエスさまを信じる人に変えられました。

 

私の子オネシモとありますが、パウロが産んだ子どもではありません。

子どもと言えるくらいの親しい仲になって、オネシモはイエスさまを信じる信仰に導かれたのです。

 

だから赦して欲しい。もしイエスさまを信じているなら、このオネシモをお咎めなしにしてほしい。この逃亡奴隷オネシモを奴隷から解放してほしい。

そのようにパウロはオネシモの主人フィレモンにこの手紙で奴隷解放を懇願するのです。

 

16節にはこうあります。

あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。

 

そうなのです。パウロは、フィレモンにオネシモのことを奴隷としてではなく、「一人の人間」として見て欲しいとフィレモンに頼みました。

 

奴隷ではなく「一人の人間」として見て欲しい。

18節には、逃亡中にオネシモが金品を盗んだり、逃亡中に損害を及ぼしたりしたものは、このパウロが立て替えると言っています。

 

このフィレモンの手紙はオネシモという奴隷を解放するためのお願いの手紙ではありません。オネシモが逃亡中に犯した損失の損害や借金の証明書としても用いることが出来る損害証明書でもあるのです。聖書の御言葉というのはとても暖かいのです。

 

私たちが生きる現代は奴隷と主人という関係はあまり見られません。

ここにいる皆さんだけではなく。

世界中の人に人権が保障されており、日本国憲法には人権だけではなく、自由が認められて、定めされ、保証されているのです。

 

では、今日の箇所は何を伝えているのでしょうか。

今日私から皆さんに伝えたいことは、

誰かのことを、「一人の人間として見て欲しい。」ということです。

 

そして、自分のことを「一人の人間」として見てくれる友人や仲間をこの高校生活で築いていって欲しいと思います。

 

パウロがこのようにお願いしたのは、パウロ自身もイエスという神と出会い根本的に生き方を変えられる経験をし、パウロ自身も、囚人で囚われの身でありながら、「一人の人間」として生きていることに気づかされたということなのです。

 

そして、パウロの素晴らしいところは、この気づきを、オネシモという奴隷に自分自身の大切な気づきをプレゼントしました。

その気づきこそ、「一人の人間として生かされている。」ということでした。

 

今日のフィレモンの手紙では、その後オネシモがどうなったかは、完全には明らかにはされていません。しかし、奴隷だったオネシモが気づいた「一人の人間である」という気づきは、彼の眼には希望に映ったと思うのです。また、オネシモの名前は「有益、役に立つ者」という意味があります。それは奴隷として役に立つものではなくて、一人の人間として役に立つ者としてパウロと神との出会いによって変えられたのでした。

しかし、そんな中でも、その一つ一つの出会いに、その人を「一人の人間である。」

その人をその人として見る。

そんな出会いや気づきの積み重ねによって、

「あ、意外にこの人ってこういうことあるのだな。」と思える出来事や出会いがあるのです。

 

そして、それは何も人間関係にとどまらないと思います。

この高校で学ぶ、神という存在も、イエスさまも、意外に良いものだな。

と。思えることが沢山あります。

そのように、開かれた姿勢で好きになったり嫌いになったりする自分自身を楽しんで欲しいと思うのです。何も不安になる必要はありません。

むしろ何かに決めつけ、レッテルを張っている時点で、自分自身を楽しむことはできないのです。

 

そして、その一歩が、「その人をその人と見ること」

「その人を一人の人間である」と見ることから始まるのだと思います。

 

そして、その出会いや経験を通して、自分とはこういう者である。

という自分自身がやがて確立されていくのだと私は思います。

 

この私自身も、軽トラのおじさんと出会って、新しい自分に気づくことができました。

牧師という職業的な枠を超えて、軽トラのおじさんと友達になることが出来ました。

 

「牧師先生もエンエン泣くことがあるのやなあ。」と水害が落ち着いたときに言われました。

 

今でも、このおじさんは日曜日の礼拝には来ないけれども、友達として月に1回お教会に遊びに来て菓子をプレゼントしに来てくれます。

いつもあの帰り道で叫んで泣いていたことをいじられるけれども。

 

イエスさまは、私たちの枠や壁を取り払うために、この世に生まれて下さいました。

パウロは囚人でした。オネシモは奴隷でした。

しかし、この二人は、イエスに出会い信仰を通して、様々な囚われから自由な存在として歩むことができました。

 

私たちが生きる社会は枠や壁が多くあることに気付かさます。

しかし、その枠や壁の中で生きるのではなくて、開かれて生きていきたいと思います。

もちろん、生徒と先生という関係はとても大切です。

しかし、その先生の生き方や言葉に学べることはたくさんあるでしょう。

 

さて、信徒の方の水害のお手伝いが終わった後も腰が痛くて病院に行きました。

「これはお手伝いの腰痛ですかねえ。」

とお医者さんに聞いたのですが、お医者さんはこう言いました。

 

「いやそれは、あなたが太っているだけです。」

次に皆さんと会う時は、少しスリムになってお会いしたいなあと思います。

 

共に祈りましょう。

 

お祈り

天の神様。

私たちの囚われと壁と覆いから解放してください。

誰かにレッテルや決めつけをして生きる閉じた生き方ではなくて、出会いと気づきに生かされながら開かれた生き方に私たちを作り替えて下さい。

 

どうか神様、オネシモがこの世の囚われから解放されたように、私たちも開かれた生き方に生きることができますように。

この祈りを主イエスキリストの御名によっておささげします。アーメン。

​大村教会 牧師 稲葉義也

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